2ntブログ
01月≪ 1234567891011121314151617181920212223242526272829≫03月

2016.02.27 (Sat)

黒い瞳 3

淳子6歳

淳子には、友達がいなかった。

母と共に移り住んだ古い文化住宅は、
その建物と同じように老朽化した人々が住みついていた。


生活は豊かでなく、
淳子は保育園にも幼稚園にも通わせてもらえなかった。

淳子の遊び相手は、空き地で拾ってきたレンガの破片だった。

淳子は、そのレンガの破片をチョークがわりに、
アスファルトの路面に花や木や犬や猫を書いて遊んだ。


普通の幼稚園児のように、家族を描くことはなかった。

そもそも、家族という意味がわからなかった。

いつも、母と自分だけの世界。

そこには、家族団らんもなければ、笑顔のあふれる食卓もなかった。

やがて、母は夜の勤めにでるようになった。
パートよりも、実入りのよさと、
元来、華やかな世界を好む母であったのだ。
images (8)



早めの夕食を親子で済ませ、
暗くなった部屋で母の帰りを待つような生活が始まった。

未明の3時ごろに帰宅する母は、
いつもアルコールとタバコの臭いがした。

下着が見えるのではないかというような、
短い丈のワンピースを脱ぎ捨て、
コップの水をゴクゴク飲み、大雑把に化粧を落とすと、
雪崩れ込むように淳子の布団に潜り込み
「ごめんね」と言いながら抱きしめて眠るのだった。

淳子は、母に抱きしめられるこの瞬間が、
なによりも嬉しくて眠い眼を擦りながら母の帰りを待っていた。


夜の勤めに出て、ふた月ほどたったある日、
待てども母は帰って来なかった。

いつしか、空は明るくなり始め、朝を迎えた。

明るくなった室内で、淳子は物心がついてから初めて泣いた。

母が家に帰ってきたのは、
太陽が天体の真上にこようかという時間だった。

玄関から入ってくる母の姿を見つけると、
母の腰にしがみつき、「おかあちゃん、おかあちゃん・・・」と泣き叫んだ。

母は「ふう~」と長いため息をつき、「ごめんね」とつぶやいた。

ふと、いつものアルコールとタバコの臭いでなく、
石鹸のいい香りが母から匂い発つのを淳子は感じた。



翌日、いつものように早めの夕食を取っているとき、
母が淳子に語り始めた。

「ねえ、淳子。淳子は、お父さん欲しくない?」

「お・と・う・さ・ん?」

物心がついてから初めて発する母以外の家族の呼び名・・・

戸惑う淳子を尻目に

「いつまでも、お母さんとふたりだけの生活をする訳にはいかないじゃない。
来年からは小学校なんだしさ、
ほら、運動会とかさ、お父さんがいないと寂しいじゃない。」

いつもの話し方でなく、
やけに活き活きと目を輝かせながら母は淳子に話し続けた。

「今度の土曜日、うーん、どう言えばいいかなあ。・・・
あとひとつ、ふたつ、みっつ、お寝んねしたあと、
淳子のお父さんになってもいいよっていうおじさんがね、
この家に泊まりに来るの。・・・
それでね・・・、そのおじさんに、
淳子がいい子だねって思われるように、淳子にがんばってほしいの。
ううん、淳子がいけない子ってわけじゃないのよ。
ただ、いつもより、もっと、もっとお利口さんになってもらいたいの。・・・できるよね?」

早口で嬉しそうに話す母に戸惑いながらも、
よくわからなかったが「うん」とうなづいた。
それからの3日間、実に母は楽しそうに土曜を待ちわびた。
images (9)

家事をするにも鼻歌まじりで、
淳子によく冗談を飛ばしては一人で笑っていた。

そしてなによりも、母の匂いが変わった。

夜のお勤めに合わせ、
かなりきつい香りのする香水をつけていたのが、
いつしか、甘いやさしい香りになった。

この香りはね、
今度お家にやってくるおじさんが、とても好きな香りなんだよ。
お母ちゃんにはこの匂いが絶対に似合うからと
おじさんがお母ちゃんのために買ってくれたのよと、
母は嬉しそうに話してくれた。
23:33  |  黒い瞳  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2016.02.27 (Sat)

黒い瞳 2

~淳子 3歳~

誰しも、3歳のころの記憶は、ほとんどないのではないだろうか。

当然かもしれない。
だが淳子には、
脳裏にくっきりと思い出される光景がいくつかあるのだった。



たぶん、あれは夏、もしくは初夏だったのではないか。

蒸し暑さの中、
なかなか寝付けずに、布団の上で何度も寝返りを打った。
2歳児お昼寝寝ない

寝付けずにいたのは、蒸し暑さのせいだけでなく、
隣の部屋から聞こえてくる罵り合いの声のせいだった。


二人の男女が激しく言い争っていた。

声色の高低の差によるものか、女性の声が何を言っているのかは、
はっきり聞こえたものの、男性の声はやけに低く、
ボソボソとしか聞こえず、何を言っているのかは定かではなかった。


女性は「今さら、なにを言ってんのよ」とか
「もうお終(しま)いね」などと言っていた。


やがて、鍋なのだろうか、床に落下する金属音が響いた。

バタバタと床を踏み鳴らす足音。

ふいに「なんだとぉ、この女(あま)」
と男性の発する声が明確に聞き取れた。
その後、パンと肉を打つ音がした。

 
一瞬の静寂の後、大声で女性が泣き喚き始めた。

「出て行ってよ!もう、あなたの顔など見たくもないわ!」

「出て行くのは、てめえの方だろうが!」
再びパンという肉を打つ音。

バタバタと足の踏み鳴らす音。
やがてドスンと音がした後、再び静寂が訪れる。


静寂を打ち破ったのは、女性の声だった。
「いいわよ!こんな家、今すぐ出て行ってやるわ!」

「ああ、出て行け!この売女(ばいた)!」

ズルズルと床を這いずる音が、淳子の部屋に近づいてくる。

バンっ!とふすまが開かれ、
口から血を流した夜叉の形相をした母が淳子の枕元へやってきた。
images (7)

「淳子、お母ちゃんと一緒に行こうね」

夜叉がやさしい口調で淳子に話しかける。

淳子は怯えて泣く事すらできずにいた。

そして、女性はタオルケットで淳子を包み、しっかりと抱きかかえた。

「淳子は連れて行きます。離婚届は後日、仲人さんを通じて持ってきますから」

「ああ、みんな出て行きやがれ!よくもここまで俺をコケにしてくれたもんだ!」

淳子は女に抱かれ、その家を後にした。
09:09  |  黒い瞳  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
 | HOME |