2016.03.02 (Wed)
黒い瞳 8
~淳子15歳~
月日は流れ、淳子は綺麗な娘になった。
淳子の成熟が増すにつれ、母の老いが目立ち始めた。
今や春を売る稼業も閑古鳥が鳴いていた。
「淳子、中学校を卒業したらどうするんだい?」
ある日、母は淳子に問いかけた。
級友たちは、みんな進学するという。
だが、淳子は勉強ができる子ではなかったし、
母に負担をかけたくなかったので進学する気など毛頭なかった。
少しの金額でも稼いで、
苦労してきた母に楽をさせてあげたいと考えていた。
働きたいと母に告げると、
「働く?働くといっても今のご時勢じゃあ、
中卒の女を雇ってくれるとこなどそうそうないわよ」
お金の心配などしなくていいのだから、
進学を考えてみてはどうかと勧められたが、淳子の思いは変わらなかった。
「常用雇用でなくてもいいの。パートでもなんでもいい。私、働く。」
淳子の意思は固かった。
中学を卒業すると、淳子は近所にあるスーパーのレジ打ちのパートを始めた。
時給は、ほんの小遣い程度であったが、
初給料の袋を母に手渡すと、ありがとう、ありがとうと何度も喜んでくれた。
その頃から、母は目に見えて痩せてきた。
どこか、体の具合が悪いのなら、
お医者さまに診てもらったほうがいいと何度も勧めたが、
少し疲れているだけだと首を縦に振ろうとはしなかった。
やがて顔色もかなり悪くなり、
素人の淳子が見ても黄疸だという症状が出始めた。
ついに本人も辛さに耐えかねて、医者の診察を受けたのだった。
診察後、母は緊急入院となった。
診察結果は胃がんであった。
診察した医師の話によると、余命3週間という残酷な告知を受けた。
淳子は、頭の中が真っ白になった。どうすればいいのだろか?
母には、告知することができなかった。
おかあちゃん、あと、3週間で死んじゃうんだって・・・
そんなこと、口が裂けても言えない・・・
点滴と投薬のおかげで少しは楽になったのか、
母は穏やかな顔をして眠っている。
まだまだ、母に教わらなければならないことが一杯あるのに。
まだまだ、母と語り合いたいのに。
まだまだ、母に親孝行できていないのに。
まだまだ・・・まだまだ・・・・
医者の宣告どおり、母は入院して3週間後に息を引き取った。
亡くなる5日前から意識は混濁し始め、ごめんね、ごめんね、と、うわ言を繰り返した。
思えば、母はいつも淳子を抱きしめては、ごめんねと言っていてたっけ・・・
福祉の葬儀は、棺おけも質素で、
読経もなく、位牌もなく、あまりにもあっけなく荼毘された。
小さな骨壷となった母を抱きしめ、淳子は涙を流さず心で泣いた。
おかあちゃん、淳子、幸せになるから。
おかあちゃん、淳子、おかあちゃんの娘でよかったよ・・・
月日は流れ、淳子は綺麗な娘になった。
淳子の成熟が増すにつれ、母の老いが目立ち始めた。
今や春を売る稼業も閑古鳥が鳴いていた。
「淳子、中学校を卒業したらどうするんだい?」
ある日、母は淳子に問いかけた。
級友たちは、みんな進学するという。
だが、淳子は勉強ができる子ではなかったし、
母に負担をかけたくなかったので進学する気など毛頭なかった。
少しの金額でも稼いで、
苦労してきた母に楽をさせてあげたいと考えていた。
働きたいと母に告げると、
「働く?働くといっても今のご時勢じゃあ、
中卒の女を雇ってくれるとこなどそうそうないわよ」
お金の心配などしなくていいのだから、
進学を考えてみてはどうかと勧められたが、淳子の思いは変わらなかった。
「常用雇用でなくてもいいの。パートでもなんでもいい。私、働く。」
淳子の意思は固かった。
中学を卒業すると、淳子は近所にあるスーパーのレジ打ちのパートを始めた。
時給は、ほんの小遣い程度であったが、
初給料の袋を母に手渡すと、ありがとう、ありがとうと何度も喜んでくれた。
その頃から、母は目に見えて痩せてきた。
どこか、体の具合が悪いのなら、
お医者さまに診てもらったほうがいいと何度も勧めたが、
少し疲れているだけだと首を縦に振ろうとはしなかった。
やがて顔色もかなり悪くなり、
素人の淳子が見ても黄疸だという症状が出始めた。
ついに本人も辛さに耐えかねて、医者の診察を受けたのだった。
診察後、母は緊急入院となった。
診察結果は胃がんであった。
診察した医師の話によると、余命3週間という残酷な告知を受けた。
淳子は、頭の中が真っ白になった。どうすればいいのだろか?
母には、告知することができなかった。
おかあちゃん、あと、3週間で死んじゃうんだって・・・
そんなこと、口が裂けても言えない・・・
点滴と投薬のおかげで少しは楽になったのか、
母は穏やかな顔をして眠っている。
まだまだ、母に教わらなければならないことが一杯あるのに。
まだまだ、母と語り合いたいのに。
まだまだ、母に親孝行できていないのに。
まだまだ・・・まだまだ・・・・
医者の宣告どおり、母は入院して3週間後に息を引き取った。
亡くなる5日前から意識は混濁し始め、ごめんね、ごめんね、と、うわ言を繰り返した。
思えば、母はいつも淳子を抱きしめては、ごめんねと言っていてたっけ・・・
福祉の葬儀は、棺おけも質素で、
読経もなく、位牌もなく、あまりにもあっけなく荼毘された。
小さな骨壷となった母を抱きしめ、淳子は涙を流さず心で泣いた。
おかあちゃん、淳子、幸せになるから。
おかあちゃん、淳子、おかあちゃんの娘でよかったよ・・・
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